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2018/05/17 → 2018/05/25
プリント発祥の地と推定されるインド。
その歴史は約2000年とも5000年ともいわれています。
インド独立の父:マハトマ・ガンジーは、言いました。
「 未来は、「今、我々が何を為すか」にかかっている。 」
元祖更紗、「インド更紗」についてご紹介していきます。
インドは捺染染色発祥の地と推定され、古く中世からイスラム諸国などへの輸出が行われていました。
インドの染織品の歴史は、約2000年とも5000年ともいわれていますが、インド更紗(印度更紗)が流通上に現れたのは、16世紀の大航海時代からとされています。
18世紀の更紗革命にもありますが、17世紀半ばには東インド会社を通じてヨーロッパ市場に流入して大流行しました。
国内向けの他、インドネシアやタイ、日本、ヨーロッパなどに輸出され世界に広まりました。
模様は地域の嗜好を取り入れ、輸出先に合わせたデザインを採用したこともポイントです。
当時、他の国々では媒染技術が発達していなかったので、染まりにくい木綿が艶やかな茜や藍の色となり、細かな花柄や繊細な幾何学模様が描かれているのは驚きだったものと思われます。
その後、各国でインド更紗を模範した独自の更紗が生産されるようになっていきました。
ヨーロッパの染織や「モード」に多大な影響を及ぼし、後のヨーロッパ更紗、花更紗の原型を作ったともいわれています。
日本では、16~17世紀頃に伝えられ、「古渡り更紗」として大切にされました。
細い手紡ぎの木綿布に、深みのある臙脂(えんじ)、緑、茶、藍などで、さまざまの模様を表してあり、それらの文様から鳥手(とりで)、人形手(にんぎょうで)、立木手(たてきで)など、いろいろな名称がつけられています。
また、江戸時代に日本に輸入されたものは袋物、帯、下着など、ぜいたくなものとして使用されました。
日本には日本の更紗、和更紗が後に製作されていきます。
インド更紗(印度更紗)とは、インド産の木綿の更紗のこと。
ろう染によるジャワ更紗とは異なり、全部手描きにしたもの、木版または銅板によって模様の線を出したもの、プリントしたものの3種類があります。
このうち「手描き」がもっとも古くから行われ、「木版」、「銅板」の順に新しくなっていきます。
手描きの製法は、カラムという鉄や竹のペンのような道具を用いた手書き染めや、手描きろう付け染めがあります。
インド更紗(印度更紗)の模様は、唐草模様、樹木模様、ペイズリー人物や動物模様、小花模様など、地方により特色があります。
モチーフは植物が主体で、インディアン・パイン(インド松)ともいわれるペイズリー模様が特に有名です。
色落ちが少なく、発色が良く、茜から採取した艶やかな赤を特徴とする植物染料を用いた色彩が美しい。
手描き、木版あるいは銅板を使い、柄を染めていき、緻密で精密な写生風の表現様式で、全面すき間なく埋めつくす構成に特徴があります。
インドにはインド更紗のほかに、「アジュラック」と呼ばれる染め物があります。
アジュラックとは、赤と青を基調にした木綿のプリント布。
アラビア語で青を意味する「アズラック」が語源にあり、本来はイスラム教徒の男性だけが着用するのが伝統となっています。
木版防染、ブロック・レジスト・プリントという染色法で、イスラム美術の影響を受けた幾何学模様が特徴です。
イスラム教では青や緑は神聖な色とされ、偶像崇拝(形あるものを信仰すること)が禁止されているため、人物や動物は描かれず、草花や雲、波をモチーフにした幾何学模様が基本。
数学の能力が必要とされる対照的なイスラムのデザイン原理で表現されています。
布の下染めにはじまり、木版型を使ったろうの防染など、たくさんの複雑な製作工程を経て染められるアジュラック。
その多くは、インドのカッチ地方やパキスタンのシンド地方など、インダス文明のインダス川下流地域で染められてきました。
余談になりましたが、アジュラックの紹介でした。
それでは、インド更紗をまとめます。
インド更紗(印度更紗)とは、
・17世紀にヨーロッパで大流行。その後、世界へ
・インド更紗とは、インド産の更紗
・インド更紗の模様は、ペイズリー柄が特に有名。
元祖更紗、インド更紗(印度更紗)のご紹介でした。