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2018/05/14
「インド=更紗」と呼ばれるほど影響力を持っていた更紗。
では、いったいどれほどの影響を与えたのでしょうか?
更紗の歴史を紹介します。
16世紀の大航海時代、更紗はインドからヨーロッパに広がりました。
インドとインドネシアの海上交易は、17世紀のオランダ東インド会社の設立後、インドネシアの香辛料とインド更紗を交換する交易に発展しました。
インドでは、インドネシア向け更紗の生産に力を入れるようになっていきます。
その後、オランダ東インド会社撤退後の18世紀から、インドネシアでも更紗が作られるようになると、王宮を中心にジャワ文化の伝統工芸として発達していきました。
当時、主に羊毛や麻、絹が身近だったヨーロッパの人々にとって「綿は軽く、吸湿性に富み、しかも簡単に洗濯ができる清潔な繊維」という、画期的な素材でした。
シルクにも似た柔らかな風合いと、花鳥、植物などの異国情緒溢れる色鮮やかな柄のインド更紗は上流階級のぜいたく品として、瞬く間に人気を呼びました。
17~18世紀に入り、更紗が大量輸入されるようになると、中産階級が競って求めるようになっていきました。
ちょうどその頃、インド更紗は中国の磁器、日本の漆器など「舶来趣味」「東洋趣味」人気と相まって1大ブームとなった様子。
衣服からベッドカバー、テーブルクロス、カーテンなどの室内装飾までさまざまな用途に使用されるようになり、消費行動を大きく変化させる「更紗革命」を引き起こすことになりました。
今までヨーロッパで中心となっていた絹織物、麻織物、毛織物などの織物業は「更紗革命」により、大きな打撃を受けました。
自国の伝統織物工業を保護するために、17~18世紀にかけて、フランス、イギリス、スペインでは一時、インド更紗輸入禁止令が発布されたほど。
そこで、各織物製造業者はインド更紗に対抗しようと奮起します。
結果、18世紀末頃になるが、自動紡績機や力織機を発明することに成功しました。
銅板のローラー印刷機も開発され、精度を高めた大規模工業化が可能になりました。
インド更紗をヨーロッパ好みの図柄にアレンジした「イギリス更紗」が発明され幅広い階層に普及しました。
綿織物工業が起点となり、イギリスの「産業革命」は拡大していきました。
一方、日本に更紗がもたらされたのは、16世紀中頃の室町時代といわれています。
スペイン、ポルトガルの南蛮船から、金襴(きんらん)、緞子(どんす)、錦(にしき)などの最高級織物と共に舶載されたインド更紗も名物裂(めいぶつぎれ)と称されて茶人に珍重された様子。
当時、麻や絹が主流だった日本においても色鮮やかでエキゾチックな模様染めの綿は注目の的でした。
小さな端切れでも希少価値が高く、茶道具を入れる袋物などにして愛用されました。
17~18世紀の鎖国時代も、欧州諸国で唯一交易のあったオランダによって、ヨーロッパ更紗、ジャワ更紗、ペルシャ更紗など各国の特徴をもつ更紗も広がりました。
なかでも、18世紀初期の江戸時代までに舶で渡ったインド更紗は「古渡り更紗」と呼ばれ特に大切にされ、金の入ったものものを特に金更紗または金華布といって同じように珍重されました。
日本で製作された更紗は「和更紗」といい、17世紀初めには鍋島更紗、後期には天草更紗、長崎更紗、江戸更紗などが各地で製作されました。
男物の下着や胴着にふさわしく、縮緬類(ちりめんるい)に染めて女物の羽織や着物にしたり、羽二重に染めて羽織裏にも。その他、帯、ふとん、袋物などに用いられました。
ちなみに、日本の更紗は南蛮渡りの本場のもの、中国製のもの、日本で模作された和更紗にわけられます。
更紗の歴史をまとめると、
・16世紀の大航海時代、更紗はインドから世界へ広がった
・「東洋趣味」人気と相まって1大ブームとなり、衣服から室内装飾までさまざまな用途に使用される
・更紗ブームによる消費行動の大きな変化が、産業革命のきっかけとなった
以上、欧州の織物業に大激震を与えた18世紀の「更紗革命」、更紗の歴史のご紹介でした。
だいぶ駆け足でしたね。。